蔦重の教え

 高カロリーの牛肉・豚肉を避け、馬肉を食べようと、吉原大門前にある、「桜なべ 中江」に入った。桜なべは江戸時代末期、吉原遊廓に行き帰りする人々が馬力をつけるために食べていた鍋で関東大震災で崩壊する前は、二十軒以上の桜なべ屋が並んでおり、深夜や早朝も客足が途絶えず、ほぼ二十四時間営業だった。

蔦屋重三郎(蔦重)

地本問屋(じほんとんや)
貸本業主体の『薜羅館(へきらかん)』を開き、二年後に版元の鱗形屋さんから細見作りの手伝いを頼まれ、翌年に『耕書堂(こうしょどう)』を開いた。その後、細見の株(商売の許可)を買い占めた。
 七歳で、近くの茶屋に引き取られて、幼い頃から小間使いや下働きといった接客を仕事にして来た。43歳で没。死因は脚気(ビタミンB1欠乏)=`江戸わずらい`と言われた。
 客層は男性の比率が高く、特に参勤交代で故郷に戻るお侍などが、土産に買い求める姿が目立つ。戯作者(げさくしゃ)が文章を書き、浮世絵師が挿絵をつける読み本(黄表紙と呼ぶ)は高価で貸本屋が買い付けに来ることも多かった。

この時代の出版物

全て木版画でできている。一ミリの間に髪の毛三本が彫られ、目詰まりさせずにすられている技術、色を一色ずつ、何色も重ねて刷っていながら一ミリのズレもない技術を持っていた。彫りに入った途端、原画は消失してしまう。当時の錦絵一枚の値段というのは、かけ蕎麦一杯の値段と変わらなかった。

『吉原細見』

遊廓の地図、見世ごとにいる遊女の名前を位をつけて紹介。吉原のガイドブック。美しい絵柄のついた、細見用の封筒を付けた。細見の序文を、その頃`時の人`であった、平賀源内に書かせた。(平賀源内:発明家・学舎・医者で浄瑠璃の作者。男色趣味で有名。)

  • 蔦重はこの本でステータスを作り上げ、花魁のランキングさえ入れ替えた。
  • 本の後ろのページに蔦屋で扱っている他の本の案内を載せた。
  • 名物の菓子などの内容も本に載せ、スポンサーを集めて本を作った。

『一目千本』

押し花の絵手本帖。蔦重の最初の本。この花の絵を描いたのは当代一の売れっ子の絵師の北尾重政

修業期間

絵師:早くて一年、摺師(すりし):三年、彫師:十年でやっと一人前

蔦重の時代

 8代 徳川吉宗 → 9代 家重 → 10代 家治の時代(田沼意次 → 松平定信)
 厳しい倹約令
 紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)や奈良屋茂左衛門(ならやもざえもん)も死去。
 蔦重は、低迷していた吉原を文化発祥の魁の地とし、町を復活させた。

隅田川の堤防沿いに桜を植えさせたのは八代将軍徳川吉宗。質素倹約を奨励する傍ら、こうして金をかけずに楽しめる花見の場所を各地に作った。ただし、ソメイヨシノは誕生しておらず、花と葉が一緒に開く山桜系の桜で、今とは随分違う景色だった。

江戸時代の朝食

めざし一匹、沢庵二切れ、しじみの味噌汁と山盛りの白飯。死ぬほど塩辛い。

食事の作法

飯は茶碗に少し残して茶漬けにし、沢庵のかけらで、茶碗にこびりついた飯粒を洗いながらいただく。現在も禅寺の作法として残っている。水が貴重であったため。

江戸の水道事情

江戸の町は、普通に井戸を掘っても海水が混じるため、玉川などから水を引く「水道井戸」。水道を引くのは百年がかりの大プロジェクトだった上、水道のない地域では、水売りからわざわざ水を買っていた。

吉原のしきたり

花魁は客人より格上の存在。花魁が上座に座る。`初会`と呼ばれる初対面の引き付けの場では、お大尽であっても口も利けない。

「三脱の教え」

相手の生まれ・職業・地位を尋ねてはいけない。

三越百貨店の前身である呉服商の三井越後屋が、江戸で初めて(世界でも初めて)『現銀掛け値なし』という、ツケも値引きもしない正礼販売(しょうふだはんばい)の店を開き、大繁盛せせた。身分も貧富の差も関係なく、誰でも平等に商品が買える。ツケ払いからの脱却。

人物紹介

喜多川歌麿

美人画と春画で欧米にまで名をとどろかせた、日本が誇る浮世絵師。
代表作:『寛政の三美人』

勝川春章

絵師 葛飾北斎(20〜35歳まで勝川春朗)の師匠
「春章一幅値千金」:春章の絵の一幅は値千金の価値があると言われた。中国の漢詩「春宵一刻値千金」(春の夜の一時は値千金の価値がある)をもじったもの。

志水燕十 (しみずえんじゅう)

絵師・戯作者 歌麿を蔦重に引き合わせた。

朱楽菅江(あけらかんこう)

狂歌三大家の一人

大田南畝(おおたなんぼ)

狂歌三大家の一人、別名「蜀山人」

鈴木春信

浮世絵師。錦絵の成立に中心的役割を果たした。美人画を得意とし、遊里風俗や市井(しせい)の日常生活の情景に古典和歌の歌意(かい)などを通わせた見立絵(みたてえ)を好んで制作。

煎酒(いりざけ)

廃れてしまった調味料のひとつ
梅干しと酒とかつおぶしを煮詰めて作る調味料で、旨味と酸味と塩気があり、上品なポン酢といった味わいがある。2015年頃から再人気になったのは、塩分量が非常に少なく、また自宅でも手軽に作れることからヘルシー志向の人が好んで使い始めるようになった。

江戸の大晦日

『年籠り(としごもり)』
年神様を迎えるために、夜っぴいて一年の反省や翌年の抱負などを語り合う習わしだった。明け方近くになると、皆で高台に移動し、御来光に合掌して無病息災を願った。神社に参る初詣という習慣は、この時代にはまだ行われていない。初日の出を拝む前に寝てしまうと、白髪が増えて老いが早くなる、という言い伝えがあった。
この時代、たとえ年配者でも、奉公人は主人からお年玉をもらえる。

おせち

子孫繁栄を願う数の子、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を願う田作り(=ごまめ)、まめに働けるよう無病息災を願う黒豆の三種類。この三種類+雑煮が貧しい長屋暮らしの家庭などでも欠かせない。江戸の雑煮は、里芋と小松菜に餅が入ったシンプルなすまし仕立て。

美人画の潮流

北尾派 → 鳥居派 → 歌麿
北尾重政:貫禄のある美人画
鳥居清長:伸びやかで明るい美人画

江戸時代の挨拶

今日様(こんにちさま)

朝起きるとまず、お天道様に向かって拝む。『今日様』に感謝するということは、この瞬間から始まる未来に感謝するということ。

お陰様

人を生かしてくれている全ての自然エネルギーや事象、人の恩を含める森羅万象を表す。『お陰様』に感謝するということは、目の前にいる人だけでなく、その人を形成した親や先祖、八百万の神々に感謝するということ。

瘡病み

梅毒のこと
「鳥屋(とや)をせざる中は、本色の遊女とせず」 = 遊女は鳥屋について一人前
鳥屋(とや):鷹の羽が冬毛に生え換わる時期のこと。梅毒の遊女が病んで、髪の毛が抜けていくのに似ているため。
 瘡病みになった女ははらみにくくなるし、はらんでも流れやすくなるから。子をはらむのは遊女の恥だから。
 天女のように美しかった花魁が、髪はまばらで、鼻が崩れ、首にキノコみたいな腫れ物ができる。

忘八(ぼうはち)

《仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌(てい)の八つの徳目のすべてを失った者の意から》遊郭通いをすること。また、その者。転じて、遊女屋。また、その主人

湯屋(ゆうや)

江戸時代の銭湯
脱衣所で風呂敷(風呂で敷くから`風呂敷`)を床に敷いてその上で着物を脱ぐ。
湯船は混浴

用語説明

俄(にわか)

毎年八月になると通りに屋台を建てて行われる、小芝居や踊りのこと。芸者や幇間(ほうかん)も集まって、一ヶ月間賑やかにやる。

大門

吉原唯一の出入り口

房楊枝

江戸時代の歯ブラシ 先を房のように潰した木の棒

久離(きゅうり)を切る

親族などの関係を断つ。 勘当する。

手練手管(てれんてくだ)

人をあやつってコントロールする手段を表す言葉。語源は江戸時代の遊郭にさかのぼる。お客を通い続けるように仕向けた。同義語を重ねて強調した言葉。

傾城(けいせい)

遊女・美人

反故(ほご)

書画などを描き損なったいらない紙。

一刻

およそ二時間

微に入り細を穿(うが)つ

きわめて細かな点にまで気を配る。

蔦重の言葉

  • 「人生は知恵比べだ。考え抜いた方が勝つのが道理だ。騙されて悔しけりゃ、知恵を絞って騙し返せばいい。」
  • 「気の合わない人間ほど丁寧に接する。」
  • 「受けた誘いが有益か無益かを瞬時に判断して、即座に断る。」
  • 「恥ずかしくない身なりと立ち居振る舞いを身につけろ。」
  • 「人ってのはたいがい、得意なモンや好きなモンで大きな失敗をするもんだ。」
著者

車 浮代

時代小説家、江戸料理文化研究家。大阪芸術大学デザイン学科卒業。
セイコーエプソンのグラフィックデザイナーを経て、故・新藤兼人監督に師事しシナリオを学ぶ。
主な著書に『落語怪談 えんま寄席』(実業之日本社文庫)、『春画入門』(文春新書)、『【カラー版】春画四十八手』(光文社知恵の森文庫)、『江戸の食卓に学ぶ』(ワニブックスPLUS新書)など。
近著に『歌麿春画で江戸かなを学ぶ』(中央公論新社)、『天涯の海 酢屋三代の物語』(潮出版社)、『免疫力を高める 最強の浅漬け(マキノ出版)がある。
国際浮世絵学会会員。

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